「名前を伺ってもよろしいか」
部屋に入るとすぐ、そう尋ねられた。
 彼が推理するのが好きで、もう少し考える余裕があったなら、これまでのやりとりで自分が何者であるか、推測できただろうに。そう思いながら、アラゴルンは問いには答えなかった。
「名など聞いてどうする?適当に好きな名で呼んでおけ」
「好きな名などない」
「私はさすらい人のひとりで馳夫と呼ばれている。だが、情事に向いた名ではあるまい」
にやりと口元を歪めると、それが気に入らないらしく、再び口を塞いできた。互いの髭が触れた。唇を開くと激しく舌で撫でまわされて、そのまま喰われそうな錯覚を覚える。
「ほぅっ・・・」
離れて溜め息をつく。アラゴルンは一度身を起こすと、するりと帯を解いた。己の服を緩めながら、ボロミアを見て言う。
「いつもそのような重々しい格好をしているのか」
「戦続きの毎日だ。旅先なればなおのこと・・・」
「閨のうちの諍いでも、か」
からかうような声に、今度は彼も苛立たずに返してきた。
「好みならそうしないこともないが」
「戦場であるまいし、不要な傷をつけられてはたまらない」
 上着を脱いでしまったアラゴルンは、寝台に腰掛け、鎖帷子を取るその人を見ていた。
 部屋に盾が置かれているのには気付いていた。綿入れを脱げば、素肌が覗く。守りが堅いせいもあるだろうが、いつも適切な処置を受けているのだろう、見るからに戦には慣れている身体だが、むざむざしい傷痕は少ない。
 彼が予想した通りの人物――デネソールの長子ボロミア――であればもうそれなりの年齢のはずだが、肉体は衰えていなかった。顔にも熟した人生の深みがあるだけで、疲れは見えなかった。人柄のせいだろう。
 肩の筋肉のうねりを感じて、アラゴルンは少し期待の目を向ける。
 喉元でふいに涼しい音がして、その存在を思い出した。アルウェンから受け取った後、身につけたばかりの首飾りだった。慣れないものは、忘れがちである。少し苦労しながら外すと、傍らの机に置いた。ちょうどボロミアが、脱ぎ捨てた衣服を椅子に掛け終えたところだった。
 下履きはそのままで、ボロミアは向き直った。見上げている灰色の瞳を見返す。だが、目の前にしてごくりと喉を鳴らした。
 再び吸い寄せられるように口付ける。啄ばむようだった動きは次第に大きくなり、アラゴルンの唇を食んでは離れた。アラゴルンは焦れて頭を引き寄せ、舌を差し出した。合間に荒い息が零れて、アラゴルンの首筋を撫でる。思わず反らすと、ボロミアは唇を離れて喉を下った。武人の本能が警戒をぴりぴり主張するが、それが余計に刺激になる。
 触れた背中はひどく熱かった。掌だけでなく、全身でそれを感じたくて、上着を脱ごうとする。ボロミアがアラゴルンの腰に腕を回し、身体を浮かせて衿へ手を差し込んだ。露わになる部分に、順に唇を寄せてくる。かすめていくその感触と、規則的な熱い吐息をリアルに感じ、背筋を弱い電流が走る。
 胸の飾りを撫でられて、身体が反応した。すでにボロミアも気持ちの昂ぶりが身体に表れている。
「私はどちらでもよいのだが、やはりそうなのか」
思ったことがつい口に出た。
「えっ??」
唐突に我に返り驚いた顔をする彼に、アラゴルンは苦笑した。
「続けて」
と囁くと、おずおずと手を伸ばしてくる。戸惑い気味の動きがじれったい。手を伸ばし、ダイレクトに撫ぜた。それなりに我慢していたらしい。あっけなく達して出したものを手に受ける。
「す、すまない・・・」
「これで・・・」
情けない顔をしているボロミアの手に、それを渡すように塗りつけた。呆れたようにも見えるアラゴルンの表情に反しての、その行いの卑猥さが、再びボロミアに火をつけた。唖然としてつい視線が腰に行った。見られていることにボロミアはかっと熱くなってアラゴルンを押し倒した。彼自身と交わる前から、彼が己の肌に染み付いていくのは、不思議な感覚だ。指は太く力強かったが、決して望むことを返してはくれなかった。身体の中で苦しさだけが増幅していく。アラゴルンは苛立った。ほぐす目的なのだから構わないが、狙いを外されるのは嫌だ。
「もういい」
半分はもうやめたいという意味で呟いたが、当然興奮しきっている男には通じまい。アラゴルンは息を吐いて、押し入ってくるボロミアに備えた。
深く抉られ、突き上げられて揺さぶられながら、半ば意識を失うようなかたちで、アラゴルンも達した。
 同時に絶頂を迎えたボロミアはぐったりと崩れたが、一応は気を遣っているのか上に圧し掛からず傍らに身を横たえる。
(まったく、子供のようだ。がむしゃらに突き上げてくるだけで、技量のかけらもない)
心中で愚痴るも、嫌な気分ではなかった。ただ、物足りなさが残っているだけだ。反射的に極まったのでは満ち足りなくて、アラゴルンは身を起こした。
「もしや・・・初めてなわけじゃあるまい」
ボロミアはびっくりして目を見開いた。頑張ったのにそんなことを言われてショックを受けているのだろう。
 億劫に身体を持ち上げると、奥から流れ出すのを感じた。こういう場合では中で出さないものだと言ってやりたかったが、これ以上責めて役に立たなくなっても困る。
「私の好きなようにしたいのだが・・・貸してもらえるか」
再びその血が熱くなったのが、瞳を見れば分かる。見下ろしてみて、視界に入ったその身体をまじまじと見て、感心する。40歳とは思えない若々しさがある。稚拙さと言いたい部分もあるが、年相応の落ち着きの中に、ゴンドールの滾る血を見た。
 眺めていたついでに上体をかがめると、激しく口づけた。なんとなく誘われたのもあるが、これで手っ取り早く彼が力を取り戻してくれないかという思惑もある。そのまま両脇で身体を支えていたが、強く抱き寄せられて崩れてしまった。
髭が触れ歯があたったが、気にせず攻めるように口を開けさせる。弾んだ息が互いの口元と撫でた。
 腰に当たっているのを感じて、ほんの少し太腿を擦りつける。男の身体というものはとても単純だ。若ければ若いほどそうなる。激しい口づけが心を昂ぶらせ、ほんの少しの動きで身体もついてくるのだ。
 苦しいほどに貪った後、もう一度上体を起こした。導くのは無理だろうと判断して自ら手を添え身を落とし、次第に沈めていく。
 彼に情事を教え込んだ夫人たちとはなかった経験に違いない。どうしてよいか分からず、ただ呻いているボロミアの胸に手をついた。
「もし余力があるのなら・・・少しは働け・・・」
苦しい息を吐きながら言うと、アラゴルンは擦りつけながら身を揺らした。
「ぅぅ・・・」
ゆっくりと自分のよいところにずらしていく。その時、緩やかな動きに耐えかねたのかボロミアが下から突き上げた。
「・・・っぁ」
びくりと首を反った。小さな声は喉で抑えられた。
 肩で揺れる黒髪が湿り揺れる様が美しい。ボロミアはもう一度ぐいと腰を上げる。
―― ぱさり。
髪が肩で跳ね肌に触れる音とともに、下肢から湿った音がする。
「ふっ・・・」
一瞬逃げ腰になったアラゴルンを察して、ボロミアは腰を掴んだ。そして引き下げるようにしながらまたぐいと突く。
「はぁ・・・ぁぁ・・・っ・・・」
息を荒くしながら、アラゴルンは一定の加速度で動きと呼吸を早めていった。時折耳にはいってくる粘質な音が、さらにその場の卑猥さを増して、アラゴルンは下にいるのが誰かも忘れて動いた。
 大きな絶頂が訪れて、身体を震わせながら硬直した。締め付けられたせいか呻いて動きを激しくしたボロミアも直後に弾ける。
 寝台に倒れ込んでからも緊張し震える身体を、呼吸が整いはじめたボロミアが撫でた。暖かい腕に包み、さすると強張ったものも解ける。
 そのまま抱き締めて目を閉じている彼を、近距離で見つめる。眠るつもりなのかと驚いたが、すっきりした顔をしている彼を見ていると微笑ましくて、黙って好きにさせた。



*  *  *



 目覚めると、馳夫の姿はなかった。まるで全てが夢であったかのように、ボロミアの腕の中には上掛けがあるだけだった。ぬくもりの欠片すら残されていない。微かにある倦怠感だけが、彼の記憶の裏付けをしてくれる。
 起き上がって、椅子へ服を取りに行くと、傍らの台の上で何かがきらりと光った。一歩ずつ近付くにつれ反射する朝日が眩い、それは、小さな白い星だった。



続く・・・



水月綾祢 ■ 今回のテーマ『何故ボロミアはさすらい人と知っているか』(笑)
あの会議の恐ろしいところは、席を連ねているメンバーがお互いにどこの誰かを知らぬまま進んでいるところ。事前に紹介されてたんだよと思われるかもしれませんが、だとしたらエルロンドがアラゴルンのことに一切触れていないはずはないですよね。王云々は別としても、せめて名がアラゴルンであることくらいは言っているはずです。でもそうすれば、ボロミアだって彼が只のいやしいさすらい人ごときではないことが分かったでしょう。それにしたって、あの時のアラゴルンは服も改めているし、一目見てさすらい人とは思わないと思うんですけどね。もっともエルロンドが「
さすらい人のアラゴルン」と紹介していたとしたら、その限りではないですけど(笑)
■というわけでテーマに戻る。会議の前にボロミアはアラゴルンに会い、彼がさすらい人だと聞いているはずだと、こんなエピソードを捏造。アルウェンごめんね。あんな大切なものを置き忘れるなんて、婚約者失格だわ・・・。
■それにしたって素直でないのはアラゴルンも同じことですよ〜。その血を恐れているなんて言いながら、あんなところで本読んでるし剣置く時もかなり敬意を表してたし。アルゴナスの門を通る時も「私の先祖だ」なんて自慢げに言っちゃって(笑)
■ちなみに「さすらい人」を「野伏」にするかどうかですごく悩んだんですけれども、なんとなく語呂の問題でそのままにしました。でも名前は「韋駄天」じゃなくて「馳夫」(笑)韋駄天はカッコよすぎ。あといい加減って言ったら、ナルシルと「西方の焔」ですか。「西方の焔=アンドゥリル」って言うのはアラゴルンが鍛えなおした後の剣につけた名前であってナルシルとは全然違う意味なんですよね。


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