ああ、あれは夢だったのか。それとも現だったのか。
 ただひとつ確かなことは、
自分は生き残らねばならないということ。
 ・・・例え、何があろうとも。

  オークを追う夜。
  静かな森の夜。虫の声が時折聞こえるだけで、鳥や獣達は息を潜めている。枝の間から叢から、爛々と光る赤い瞳や金色の瞳がこちらを伺うこともあったが、近づいてはこなかった。彼らにとって人間やエルフ、ドワーフはそう怖くない。彼らが恐れているのは、最も破滅に近いもの。夜に擬態した闇だ。
  風が木々の梢を軋ませる。その勢いのまま吹き荒れて髪と炎を弄った。アラゴルンは野営の見張りを油断なく続け、火の粉が爆ぜる音を聞いていた。闇に対抗するか細い命の音を。
  ふと、微かな物音がして顔をあげた。レゴラスだ。彼は火の向こうに立っていた。装備こそ普段通りだったが、何故か頭に毛布を、そう、まるでヴェールのように毛布を頭に掲げていた。
 「何しているんだレゴラス、座れ」
  訝しげなアラゴルンの地面を指す仕草に、レゴラスはにっこりと笑顔を返して片膝をついた。ぼう、と火が勢いよく燃え上がって、ヴェールに覆われた顔を暗く照らす。
 「私はこの地に住まう人ならぬものです。貴方の望みをひとつだけかなえてあげましょう」
  アラゴルンの眉間の皴が一層深くなる。
 「一体何を考えているんだ?馬鹿な真似はやめるんだ」
  それでも笑顔をやめようとしないレゴラスに、アラゴルンは深い溜め息をつき、視線を遠い木々の隙間に向けた。冥くて見えない闇の先に眠るものを。
  闇の中に踊る静寂、人を飲み込む魔の領域を。
  彼は見ていた。
  やがて、視線を無理に彼方から逸らして火を見つめると、苦笑しながら口を開いた。
 「そうだな…」
 「おっと願いは貴方自身のものでなければなりません。貴方の心からの一番の望みでなければ、私はたちどころに消えて願いは何一つ叶わなくなってしまうでしょう」
 「レゴラス…」
  弾かれたようにレゴラスを見る。その顔はまるで出来の悪い愛しい弟を見守るような顔であったから、アラゴルンも苦笑せざるを得なかった。
  お見通しだ。
  無言で促す自分よりはるかに年上のエルフ。緑葉。茶目っ気たっぷりな頼りになるエルフの王子。
 「そうだな私は…」
  アラゴルンはその時、雨が降ってきた、と思った。頬に水滴が落ちたから。
 「私はあの救えなかったゴンドールの息子を、彼を取り戻したい」
  それは一度感じると何粒も何粒も落ちてきて、だが渇いた肌にすぐ吸い込まれてしまった。あとからあとから落ちてくる水滴に、自分はこんなにも雨に飢えていたのかと実感せざるを得なかった。
  アラゴルンは息をしゃくりあげて整えると、まるで誓約のようにその名を呟いた。
 「ボロミア」
  その声に厳粛に頷いてみせると、『人ならぬもの』は、ばさっと毛布を頭から取り去って笑った。
 「やっと言ったね、アラゴルン」
  決まり悪げにアラゴルンは顔を逸らし、枯れ枝を火にくべた。
 「君は王だけどその前に人間なんだから無理なものは無理だし、もっと我が侭でいいと思う。普通の人間みたいに」
  黙って火を見ている。草の音を聞いている。星の瞬きを感じている。
 「ねえ探しに行こうか?」
 「何を」
  少しの沈黙のあと、隣に座りなおし顔を覗き込んだレゴラスの軽い誘いに、アラゴルンは短く尋ねる。
 「生き返らせる方法。どこかにあるかもしれない。エルフや太古の秘法を探せば暗黒の力に頼らず、そのまま呼び戻す方法が」
  ぴくりとアラゴルンの手が震える。それから射抜くようなきつい瞳でレゴラスを睨んだ。
 「…レゴラス」
  権威ある王に断罪されて、レゴラスが肩を竦める。だが視線は逸らさなかった。
 「判ってるよそんな場合じゃないことは。でも胸に後悔を抱えているよりはいいと思ったんだけど」
  心配そうな声でそう告げて溜め息をつくレゴラスに、アラゴルンは意識をどこからか聞こえてくる水の音に馳せた。
 「…彼は、ボロミアは…」
  名を音にするだけで空気が震える気がする。誰かが聞いていて、強く明瞭な力ある声で応えそうな気がする。
 「ボロミアは私が王となり祖国を救うことを切望していた。だからなお寄り道している暇はない」
 「彼は何より貴方に泣かないで幸せでいて欲しいと思ってる。貴方を愛していたから」
 静寂。
  やがてアラゴルンが微笑んで呟いた。
 「そうかな、そうだな…」
  レゴラスも微笑んで頷く。
 「そうだよ」
 「…笑っているかな?」
 「いや怒っているんじゃない?『アラゴルンは何でも一人で背負い過ぎる』ってよく愚痴ってたもの。さっき言ったのも彼の愚痴」
  おどけて言うレゴラスに、アラゴルンは心からの微笑みを向ける。
 「そうか。…ありがとうレゴラス」
 「どういたしまして」
  それから二人は 会話もなく夜番をつとめ。
 漸く夜が退散して東の空に明るさが見えた頃、思い出したようにレゴラスが呟いた。
 「…彼はいるよ、貴方の中に」
 「…ああ判っている。思い出したよ」
  そうだ、判っている。判っている。理解している。
 ただ。
  ただもう少し、もう少し彼に名前を呼んで欲しかった、彼に触れてきつく抱かれたかった。ただそれだけなのだ。そして。
 野営と火の跡を消しながら、アラゴルンはそっと胸に誓言を収めた。
  ・・・すべて終わったあと共に『朝』を見たかった。

  白みゆく空、朝が森に来る。
 「行こう」




逢坂暁 あやねさんへ。遅くなりましたが開通記念です、おめでとうございます、頑張ってください
水月綾祢 ↑と言って、逃げられました。本当はこのサイトも本館と同じようにふたりで管理するはずだったのですが。とりあえず書いてもらいました。


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